タマネギの天ぷら

 映画祭にまたもや落選、どうにもこうにも奈良内閣、とは言ったものの地域活性化が主目的の小規模な映画祭なのでそんなに気を落としているわけでもなく…もちろんそれなりには気を落としているのだけれど、ちゃんと夕ご飯も食べることができるし、ちゃんとTwitterも元気に更新することができるほどの精神状態ではあるので、何も心配することはないし、僕の人生これからしあわせなことしか待っていないはず!!

 来週は京都に行って人間の排泄にまつわる映画を1本、MVコンテストの課題曲のMVを1本撮る予定だ。この二本とも、僕が今まで1度もしたことのない試みに挑戦する。

 まず前者は主人公がまるで僕ではない(僕と心情的に何の関係もない)キャラクターであるということ。そんな映画、過去の1度も撮ったことがないし、こういうキャラクターを設定することによって、カメラを撮る側と撮られる側の心的距離に微妙な変化が生まれるかもしれない、という軽い実験である。

 後者はMVである。そもそも僕は(軽いものならあるけれど)MVそのものを撮ったことがほとんどない。自分が映画のつもりで撮った作品を「MVっぽい」と言われたことなら何度もあるけれど、自分の意思で「MVだ」という体裁でMVを撮ったことがない!これはあらたなる挑戦!血沸き肉躍る体験!

 MVならちゃんと画コンテも全ショット描ききれる自信がある。なので従来の「行き当たりばったり」演出ともおさらばできる。今度こそ最高の映像作品を作りたい!完璧でありながらも、乱雑で、時にいとおしいぐらいに激情的な映像を作りたいんだ!という気持ちで臨む。

 そして1カット1カットをまるでフィルムカメラで撮るかゆような(この誤字はかわいいからわざと残しておいた)繊細な気持ちでビデオカメラを被写体に向けたいと思う。そして勢いと惰性だけでカメラを振り回していた過去の自分と決別したいのだ。新しい道、新しい自分、新しい季節!!常に時は進み、時代は変動している。そんな中で自分だけウジウジしているわけにもいかないのだ!常に動き続けていないと殺される!それぐらいの気概で生きていかないと、何の爪痕も残さずにあっという間に寿命が来てしまう!生きないと!精一杯!華麗に!!

身体中の痛み

 なぜか信じられないぐらいに身体中が痛くて痛くて仕方がない。もう風邪も治ったはずだし、今日起きたばかりの時は「寝違えかな?」と思って放置していた痛みが少しずつその主張を強めていき、現在に至る頃には「あれ…?めっちゃ死にそう…」と実際にひとりで声を出してしまうぐらいの苦しみに変わっていた。

 本当に痛すぎるし、痛すぎるのになんでこんな文章を書き始めてしまったのだろうかという疑問もある。ブログを書くこと以上にするべきことがたくさんあるのに、なぜ今僕はこうしてブログを書くことを最優先事項であるかのような振る舞いをしてしまっているのだろうか。人間とはつくづく不思議な生き物である。

鶏肝を食べた話

 先日、とある居酒屋さんで鶏肝を食べた。口の中に入れた途端、まるでそれは淡く儚い恋心のようにスッと消えてなくなって、旨味の残像だけが口内にうっすらと残り続ける。そのくどすぎるほどの自己主張、無常観、世界観の広がり。まさに僕は「人生」を味わっているのだと思った。

 人生は楽しいこともあるし、たった今(窓の外の雨の音を聴きながらブログを書いている)のように楽しくないこともある。でも、だからって悲観することはないし、それも全部ひっくるめての人生なのだ。完璧な映画が存在しないように、完璧な人生だって存在はしない。だからこそ、自分の感性で美点を見出して、少しでも「楽しむ努力」をしていくことが大切なのである。

 春休みもあと半月と少しで終わる。今までの1か月と半月の間、一体僕は何をし、どのような成長を遂げたのか自分でもわからなくて、無意味に時間を浪費してしまっていたのではないかという不安がグルグル自分の周りを旋回している。あと半月、自分にできることを必死にせねばと思い、その第一弾としてのこのブログ記事をしたためているのだけれど、どうもやる気のスイッチが入らないし、そもそも僕は本当に脚本を執筆する作業が死ぬほど嫌いなのだ。

 恋愛もの、SFもの、アクションもの、ホラーもの、どんなタイプの脚本を書いてみたところで、常に主人公は自分でしかなくて、世界観も何もかもが「自分」でしかないという面白味のなさ。僕はある意味で全く自分に対して興味がないからこそ、映画という偶然性の高い媒体での表現に賭けているというのに、これでは暗くて狭い部屋でひとり漫画や小説を書いて自分自身と対話している人と何ら変わらないではないか。

 僕はもっと僕以外の世界で、僕以外の人間と混じり合いながら、未知なる世界を開拓してきたいだけなのだ。なのに常に「自分」がつきまとってくる。本当にうんざりだ。金輪際、鶏肝しか食べたくない気分。そんな思ってもないことを言ってみたところで「自分」は僕から離れてはくれない。なんと悲しい世界なんだ。

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オイルサーディン

 成人して初めてビールを飲んだ時、あまり美味くなかったことを今でも覚えている(こんな書き方をしているがまだあの時から1年も経っていない)

 それでもずっとビールには憧れ続けていたので、あんまり美味しくないなと思いながらずっと飲み続けていた。するとある日の突然、目の前にある黄金色に輝く液体(もちろん尿ではない)がとてつもなく美味しく感じてきたのである。「ああ、これが大人になってしまうことなのだな」と思いながら現在に至る。

 ここからひとりの人間が大人になるまでを儚さを感じさせながらも饒舌な筆致で描きだしながら、大人になることの本質的な意味を炙り出そうという試みのブログ記事だったのだけど、面倒くさくなったので辞める。人生、いつだって辞め時が大事。

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無感動に継続していく毎日に疑問を感じている

海老グラタン

 海老グラタンになりたいと思うことがある。理由はない。何に対しても理由を求めるのはナンセンスだ。理由が知りたければ一旦死んでみればいいんだ。少なくとも自分が今まで生きてきた理由をほんの少し知るきっかけなどを手に入れることが出来るかもしれない。

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ワイルドスピードシリーズを1作も観たことがない

豊かな暮らし

 豊かな暮らしを実施したいという人間本来の欲求が高まっている。豊かな暮らし。なんて良い響きのWordだろうか!この響きが耳の鼓膜をくすぐるだけで、自分の腐り切った生活がほんの少しだけパッと明るくなるような気がする。塞ぎこんだ気持ちにちょっと心地良いそよ風が通る。言葉の響きの効力。

 先日、フォロワーさんの出演している、とある演劇(短縮お試し版)を拝見した。言葉の力、そして言葉の持つ意味を越えたパッション!衝動!躍動感!自分の心を握りしめられるような胸の突っ張り感。ずっとずっと映画に恋し続けてきたけれど、その瞬間、その舞台を感じている瞬間、僕は少しだけ「演劇」に心奪われた。不倫の始まりである。川谷絵音

 そして僕は考えた。今まで地道に積み上げてきたものを全て投げ出してまで「演劇」を愛する覚悟が僕にはあるのか?今日初めて会ったばかりの「演劇」に自分をさらけだしてしまってもいいのか?僕は一晩考えた。

 そして僕はカメラを持って街に出た。そして目に入るもの、肌で感じるもの、全てをカメラで切り取って乱暴に収めた。何も考えずに、衝動のままに、脳みそを一切使用せずに「身体」で映像を撮った。そして僕は編集する。今までの「映画」の発想を捨てて「演劇」の脳で映像を編集してみる。全てがたった今、リアルタイムで起きているかのような実況中継風の編集加工を施す。精一杯「演劇」に寄り添う。口説き落とす。

 そして完成した映画はものの見事にただの「映画」だった。まだ僕は「演劇」を口説き落とせるほどのスキルがなかったのだ。僕は一旦「演劇」のことを忘れて映画を観る。好きな映画を好きなだけ観る。

 中学生の頃、映画を好きになってから大学二回生の今に至るまで、散々映画と戦ってきた。恋してきた。遊んできた。殴る蹴るの派手な喧嘩だってしたし、絶交宣言だってしたことがあるし、一度だけ殺し合いもしたことがある。僕の人生の傍にはずっと「映画」がいたのである。

「映画」が僕に「おかえり」と静かに言う。僕は少しはにかみながら「ありがとう」と言った。そして僕は「演劇」に「また」と言って軽く会釈する。「演劇」はフッと笑うと隣の家に帰っていった。まだまだ「演劇」は僕のことを諦めていないようだ。

 たった今も僕は映画の編集をしている。眠い目を擦りながら編集をしている。ショットを切り、繋ぎ、時間のエモーションを産みだそうとしている。自主映画の大量生産体制に入ってから早1年が経とうとしているが、成果はいまだに全くなし。まだまだ「仕事」ではなく「趣味」の段階だ。数年後には就活もしなければならないし、現状がとてつもなく不安。正直、死にそうだ。

 お酒を飲んでも何も解決しないし、心の支えになってくれる恋人がいるわけでもない。目の前にあるのは「映画」のみ。そう、僕の目の前には「映画」しかないんだ。何だか笑えてくるよ。こんなにも飽き性の僕が、こんなにも長い間、君と一緒に同じ酸素を吸い続けているなんて。不思議な話だよ。

 

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リブート版ファンタスティック・フォーが好き