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タイトルが思いつかない記事

 正確には記憶していないけれど、確か僕が映画に興味を持ったのは中学二年生の頃だったと思う。当時、僕は小説と漫画に夢中で、ひたすら小説を書いては友達に読ませ、漫画を描いては友達に見せ、今思えば相当迷惑な人間だったように思う。

 そして僕はやがて映画の世界にのめり込み、様々な映画監督にのめり込んではその監督の作風を愛撫するように自分の自主映画に丁寧に練り込むということをやっていた。たくさん人の死ぬ映画も撮ったし、たくさんの人がたくさんの人を殴ったり蹴ったりする映画も撮った。でも誰に褒められることもなければ、どこかしらの賞で認められることもなかった。僕はずっと孤独の暗がりの中で、ひたすら口をぽかんと空けながら、惰性でその日その日を消費した。大学に入れば全てが自由で、映画の才能だってすぐに花開くと思っていた。

 しかし大学に入学すると、むしろ状況は悪化した。悪夢が悪夢を呼び、僕は映画を観ることも撮ることも禁止され、ひたすら大学の授業に出席するだけの日が続いた。そしてその日々をTwitterに書き留めてはみみっちい自己顕示欲を満たし…

 大学生活の二年目に入ると僕はとにかく映画をたくさん観た。2015年は人生で1番劇場で映画を観た年となった。たくさんの映画に出逢い、たくさんのことを教わり、たくさんのことを学んだ。時として映画は人間以上にものを教えてくれる。そして僕の言葉にもきちんと反応してくれる。ちゃんと向き合えば、映画とだって会話ができるんだ。

 それでも僕の現状は中学生の頃から何も変わっていなかった。自主映画は認められないし、社会にも認められないし、大学のコミュニティにも入る隙間がない。友達ができなければ恋人もいないし、映画を撮っても何だか自分の精神が追い込まれていくばかりな気がしてくる。

 今、この記事を書いている。腰が痛いし、今日提出のレポートが二本あるので徹夜で書かなければならない。いつまでこんな窮屈な生活が続くのだろう。ザ・ウォークのことばかり考えている。どうしようもない人だかりから離れた、ひたすらに美しくてひたすらに綺麗な静寂に包まれている空間。そこで生と死の狭間を彷徨い、生きている実感を得る。自分がこころから好きな人に感動を与え、自分は世界中の人たちから拍手を貰い、世界にたったひとつしかない存在(WTCビル)に全身を受け入れてもらう感覚。あの感覚を求めて僕は20年間、生きてきたんだ。

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