二十分で書いた記事

 あと20分で大学を脱出して、あたらしくできた広場に行ってビールを飲みながらたのしい仲間と映画を撮る。それまでの20分をカウントダウンしながら書くだけの記事だ。何の意味もない記事。人生にそもそも意味なんてない。

 ブログのデザインをかわいいお寿司に変更したのだけれど、今この文章をパソコンで書いている最中にもお寿司が画面上部で動き続けていてめっちゃウザい。どれぐらいウザいかというと、僕が「最高の夏だ!」って言うと「いやもう秋でしょ笑」みたいなことを言ってくる(本人はツッコミのつもりかもしれないが、もはや僕にとってそれは「面白くないボケ」)人ぐらいにウザい。ああいうのはウザい。僕は基本的に真剣な話をしたくないし、常にへらへらとふざけていたのに、貴様のわけのわからない常識をぶつけてくるなという気持ち。で、最後にこんなこと言うのもあれだけど、もし好きな人にそんなことを言われたらもちろんゆるす。ゆるすというよりもう逆に「そういうツッコミ」肯定派になる。そんなもんだ、人の語るモットーや持論なんていうものは。残り10分!

 今とてもトイレに行きたいのだけれど、今トイレに行くとこのブログを書く時間を失ってしまう。今この瞬間の時間を利用してブログを書きたい。この気持ちの流れ、轟々と流れる気持ちの濁流を断ち切りたくない。ずっと走り続けていたい。だから僕は今トイレに行かない。行かなければ殺されると言われようが、僕は絶対にトイレに行かない。ごめん、それはやっぱりない。

 先日完成した自主映画と、今年の春頃に作った自主映画の予告編を、昨日と今日の2日間で編集し完成させた。予告編を作るのは、本編とはまた違った感覚で楽しい。本編以上に「伝える」ことが求められる。逆を言うと、僕は本編、つまり「作品」は伝わらなくても良いと思っている。そもそも芸術というのは、神に捧げるために創られることから始まったものであり、人間が理解できるためにわざわざ説明する必要なんて本当はないのだ。ましてや自主映画なんか現時点でビジネスにもなっていないので尚更のこと、むしろ僕は作品を誰かに「理解」されることを拒否する!

 みたいなことを言いながらも、心のどこかでは「そんなことどうだっていい、みんな楽しめれば自分の表現者としての主張なんかどうたっていい」みたいなことを思ったり思わなかったりしていて、あと3分でブログを書く時間が終わる。

 どうしよう、何も書くことがない。今この瞬間に思うことは「ビールを飲みたい」「バクマンやっぱり最高だった」「ファンタスティックフォーを真面目に映画としての欠点を挙げている人、真面目だなあ、もっと不真面目でいいのになあ」ということ。大学生が隣に座ってきた。大きな声で何かを喋りながら。この記事を読まれたかもしれない。男子大学生のくせにメンヘラっぽい長文ブログ書いてる!きめえ!みたいなことを思われているのだろうか!きめえのはてめえだ!17時!!大学を脱出!!