ヤンバルクイナ

 ヤンバルクイナって今絶滅してるんだっけ?してないんだっけ?まだギリ生き残ってんだっけ??忘れたなあ。だって自分にあんま関係ないことだもんなあ。世の中にはたくさんの価値観と情報と知識が竜巻みたいなスピードでちぎっては投げちぎっては投げを繰り返され、それがもう何なのか吐瀉物なのかもわからずにダーッって流れていくじゃないですか。だからヤンバルクイナのことなんか忘れてしまった。生き残っててくれ、ヤンバルクイナ

 確か去年の夏頃に思いついて、それを今年の1月末頃からしこしこと脚本にする作業をして、ああでもないだのこうでもないだの繰り返して闇雲に孤独と戦いながら、自己嫌悪と自己肯定の壁に身体が血と肉の塊になるぐらい挟まれて圧迫されながら、ダラダラと月日ばかりが過ぎていった。もっと才能と情熱のある人なら1か月もかからずに書き上げてしまえるような本だと思う。

 しかもその執筆期間中に恋人に振られるわ、家族から追い出されそうになるわのてんてこ舞いで、何がマジで何が嘘かもわかんなくなりながら必死に書いた脚本。今からちょっとだけ手直しして、明日主要キャストにデータで送る。

 たぶん物凄く壮大なコメディで、物凄くバカバカしくも鋭い社会批判なんかも盛り込まれちゃったりもしてて、今まで生きてきた23年間の中で女性に対して思ったこと、自分自身に対して思ったことのグジャグジャのビュッフェみたいになっていて、まあ説明めんどくさいからとにかく良い脚本だなあ、って漠然と思える脚本になってる。

 キャストの人、これを読んでどう思うんだろう。あるいはロクに読みもせずに大雑把にあらすじだけ把握して「おもんね~」ってなってそのまま誘われたカラオケオールに行っちゃうのだろうか。それとも夜中にしっとり読んでじっくり泣いてくれたりするんだろうか。泣いてほしい。泣いてほしいっていうとクソボケ配給会社の作るカス邦画予告動画のキャッチコピーとあまり精神性が変わらない気がするけど、本当に泣いてほしい。

 映画を観てて、ああ面白いなあとか手に汗握ったりだとか、いろんな瞬間があるけれど、やっぱり泣いてる瞬間が一番心救われるっていうか。自分は大体の映画で何かしらのシーンで泣くんだけど、もしかしたら泣きに映画館行ってるんじゃないかなあ。泣くっていうのは単に悲しいシーンとか死別とかそんなしょうもない括りじゃなくて、主人公の途方もない目標が達成されたりとか、ストーリーを崩壊させてでも訴えたいクリエイターの濃いメッセージが透けて感じれた時とか、そういうのも全部って意味での涙。人を泣かせたいもんですよね