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 よく俳優が「様々な役を通じていろんな人生を経験できるので最高」みたいな話をしているけれど、なんでそんなにかっこいい(もしくは綺麗)なのにわざわざ別の人生なんか送る必要があるんだ、現状で十分じゃないか、と思ってしまったりする。

 もちろん顔が良かったって、家がお金持ちだったからって、人生の全てが満たされてしまうなんてことは恐らくないので、飽くなき挑戦!!新しい人生!!というのは理解できる。でも、なんで、とどうしても思ってしまうのだ。

 なぜ自分が「俳優」ではなく「映画監督」になりたいのかというと、映画監督も同じく「様々な役を通じていろんな人生を経験できるので最高」なのだけれど、なんせ映画監督は自分の容姿や運動神経からも解放され(役者に任せればいい)るし、「人生経験」の「人生」さえも自分の力で意図的に操れてしまうからだ。

 どんなに自分の容姿に自信がなくても、女性変身欲求があったとしても、めちゃめちゃ綺麗な女優を主演にキャスティングしたら「最高の人生」が送れてしまうのだ。しかも自分は実質的にはノーダメージで。

 だから、映画を撮るということは「アバター」で主人公がアバターとして惑星を探検し、そこで新しい人生を見出すことによく似ていて、そういう意味で自分が中学生の時に「アバター」を観て、ほぼ直観的に「ああ、映画監督になりたい」と思うのは自然だったのだな、と今ならわかる。一切筋肉を鍛える気はないのだけれどムキムキになってみたいし、カースタントマンにはなりたいくないけど生死スレスレのカーチェイスをしてみたい。そういう願望のひとつひとつが、具体的な夢として「映画監督」になっていったのではないか、そんなことを今、まさに思ったのでこうしてここに書いてみた。

 それだと、小説家でもいいんじゃない?と思われそうな気がするけれど、小説は「人生」と呼ぶにはあまりにあまりに具体性がない。具体性がないというか、人生を追体験するにはあまりに小説は観念的すぎる(それは、僕たちの人生があまりに具体的すぎるから、という意味で)

 ずいぶん面倒臭い話を書いているなあと自分でも思うけど、なんとなく人生のヒントはここにある気がする。映画監督になるしかない。明日はMVの撮影なので、今までの自分とは全く違う、自分でも撮り終えた後に観て驚くような作品を撮りたい。そしてビールを飲みたい!!!!