鶏肝を食べた話

 先日、とある居酒屋さんで鶏肝を食べた。口の中に入れた途端、まるでそれは淡く儚い恋心のようにスッと消えてなくなって、旨味の残像だけが口内にうっすらと残り続ける。そのくどすぎるほどの自己主張、無常観、世界観の広がり。まさに僕は「人生」を味わっているのだと思った。

 人生は楽しいこともあるし、たった今(窓の外の雨の音を聴きながらブログを書いている)のように楽しくないこともある。でも、だからって悲観することはないし、それも全部ひっくるめての人生なのだ。完璧な映画が存在しないように、完璧な人生だって存在はしない。だからこそ、自分の感性で美点を見出して、少しでも「楽しむ努力」をしていくことが大切なのである。

 春休みもあと半月と少しで終わる。今までの1か月と半月の間、一体僕は何をし、どのような成長を遂げたのか自分でもわからなくて、無意味に時間を浪費してしまっていたのではないかという不安がグルグル自分の周りを旋回している。あと半月、自分にできることを必死にせねばと思い、その第一弾としてのこのブログ記事をしたためているのだけれど、どうもやる気のスイッチが入らないし、そもそも僕は本当に脚本を執筆する作業が死ぬほど嫌いなのだ。

 恋愛もの、SFもの、アクションもの、ホラーもの、どんなタイプの脚本を書いてみたところで、常に主人公は自分でしかなくて、世界観も何もかもが「自分」でしかないという面白味のなさ。僕はある意味で全く自分に対して興味がないからこそ、映画という偶然性の高い媒体での表現に賭けているというのに、これでは暗くて狭い部屋でひとり漫画や小説を書いて自分自身と対話している人と何ら変わらないではないか。

 僕はもっと僕以外の世界で、僕以外の人間と混じり合いながら、未知なる世界を開拓してきたいだけなのだ。なのに常に「自分」がつきまとってくる。本当にうんざりだ。金輪際、鶏肝しか食べたくない気分。そんな思ってもないことを言ってみたところで「自分」は僕から離れてはくれない。なんと悲しい世界なんだ。

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