誰もが寝起きは首の痛みを感じてる

 頭がおかしいので、小学生の頃から人がたくさん死ぬ漫画を描いては友達に見せていたし、将来は漫画家になろうと真剣に思っていた。文章を書くことも好きなので小説家も良いなとぼんやり思ったりもしていたのだけれど、やっぱり目で見る物語、視覚で語られる物語というのはやはり魅力的なもので、なんてったって「体験」度が違う、追体験度が違うのだ。

 ところが中学生になると僕は映画にのめり込み、映画館で映画を観ては当時、所属していた科学部で自主映画を撮っていた。まるで科学部に関係するようなことはせず、打倒!美術部の精神で脚本を書き、絵コンテを切り、映画を撮っていた。

 そして現在、20歳の大学二年生である今、何とまだ同じことをしているのだ。同じ夢を見続けているのだ。映画監督になりたいと思っているのだ。飽きもせずに映画館で映画を観ては感慨に耽ったりハイになったり病んだり気が狂ったり…f:id:WatagashiPenguin:20151030165239j:plain

 いつまでこんな生活が続くのだろう。いつまで続けることができるのだろうか!できることなら今すぐにでも映画監督になりたい。でも今のこの感覚をもう少し引きずっていきたいとも思う。ああ!なんか書くの面倒くさくなってきた。

 Twitterで書くとわけのわからない人にわけのわからないことを言われかねないので、普段Twitterには書かないのだけれど、本当に映画を作ってもいないのに映画の作り手を貶す「嫌いであると宣言することではなく、貶すこと)人の神経がわか…いや、この話はやめる。文字で言うとニュアンスを間違えてしまうし、解釈のねじれが生じてしまう。この原理は下ネタにも当てはまる。

 僕はかなり下ネタが好きなほうだし、日常的にもかなり際どい線まで言ってしまうのだけれど、こういう文章の中でや小説のセリフの中、Twitterなどではめったに言わない。なぜなら、下ネタってなんだか文字化した瞬間に圧倒的に「湿度が上がる」というか、カラっとした感触がなくなって必要以上に下品になってしまうと思うのだ。なんだろうこの感じ…