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おしゃれ大学生の手記

 アイスのカフェオレを飲み干して、死ぬほど暇だしブログでも書くかという気持ちになり、今こうしてブログを書き始めている。前の記事が各方面でお褒めの言葉を頂いたので、少し良い気になっている&ちょっと調子に乗っているので、前回かそれ以上に気持ちの悪い文章になるかもしれない。

 と散々前置きをしておきながら、これから何を書くかは全く決めていない。「よし!これから〇〇についてみっちり書くぞ!」という気持ちでブログに向き合うと、もしそれが達成できなかったときにブログをやめたくなり、死にたくなる。だからこのブログのためにも、僕の精神のためにも、事前に何か書くことを決めてから記事を書くようなことはしたくないのだ。書きたい時に書きたいことをつらりつらりとおしゃれに書いていく。それでこそおしゃれ大学生なのだ。

 そうだ、僕はおしゃれになりたいんだ。別に流行のファッションを追いながら頭髪にワックスを塗りたくりたいとかそういうことを言っているのではない。心から、根の底から「おしゃれ」な人間になりたいのだ。おしゃれ、とても良い響き。「お洒落」だとちょっと堅い印象があるし「オシャレ」だとバカっぽい。やはり「おしゃれ」だ。僕は今までずっとおしゃれじゃなかった。だから今年こそは、無理ならば来年こそはおしゃれな人間になりたいんだ。

 僕がどれほど今まで(そして今現在も)おしゃれじゃないかということは、僕の恋愛遍歴を振り返ればあり&ありとわかる。本当にクドいのだ。べっとりしているのだ。全然青春漫画のようにサラッとしていないのだ。気色悪さの荒野の果てにある、無人の鬱積ドロドロ島の洞窟の奥に潜む生っぽいヌメヌメの魔物ぐらいに気持ち悪いのだ。それに僕は彼女が出来たことがない。「できたこともないのに何が恋愛遍歴だ、さっさと首を括って土に還れ」という声が聞こえてきそうだが、片思いだって立派な恋愛経験なんだ。そもそも付き合っているカップルだってどちらかの愛のほうが必ず上なわけだし、大意ではそれだって片思いだ。片思いをバカにするんじゃない。そう岡本太郎が言っていた。

 僕は中学生の頃に好きな同級生の女の子がいた。仮にその子の名前をガゼルとしよう。なぜガゼルなのかというと、先日観た『キングスマン』のガゼルが最高にかわいかったから。で、僕はそのガゼルさんにそれはもう燃えて煮えたぎる夏のうじ虫ぐらいに恋をしていた。

 僕は朝になると目覚まし時計で目を覚ます。時計のほうに目をやると、時計にはマジックで「ガゼル」と書かれている。昨晩自分で書いたものだ。僕はその文字をゆっくりと目で追った後、勢いよく起き上がり、朝ご飯を胃に流し込み、ひとりで学校に向かう。

 学校に着くと教室には誰もいない。まだ朝のHRまで1時間はある。なぜ僕は目覚まし時計をかけてまでこんなにも早く学校に来たのか。もちろん、元気に登校するガゼルさんを教室の窓から眺めるためだ。それは一瞬の出来事で、一秒たりとも見逃せない早朝の大イベント。僕は自分の椅子を窓際に持っていき腰かける。窓越しに朝の陽ざしを浴びながら、僕はガゼルさんが登校するのをじっと待つ。それが僕の日課だった。

 たまに登校するガゼルさんの絵を描いた。たまにというかかなりの頻度で描いていた。美術の授業に描く絵だって、図書委員会で描く読書啓発ポスターだって、いつでもそこにはガゼルさんが綺麗に微笑んでいた。描く絵、書く文章、僕が体外に吐き出す作品の全てにガゼルさんがいたのだ。

 そんなある日、僕は映画館で映画を観た。『20世紀少年』だ。僕はこの映画にそれはそれはもう信じがたいほどに衝撃を受けたのだった。今観返しても「うへえ…」という感想しか出てこない(愛着はある)この映画、当時の僕には全てが新しく、その全てに圧倒された。これがきっかけで映画好きになったわけだ。

 そして僕は思ったのだ。「映画を撮ろう!主人公はガゼルさん!最高の映画を撮ろう!」僕の映画人生の歯車がぎゅるぎゅると動き始める。耳障りな音を立ててゆっくりと確実に動き始める。俺は天才だ。その気になりゃあ宮崎駿だって超えてやる。

 僕は部活の友人を集め、映画を撮ろうと持ちかけた。半ば強引に説得した。そして部活の顧問に企画書をぶち上げ、デジタルカメラを奪取した。そう、僕の初めての映画撮影はデジタルカメラデジタルカメラの動画機能を使い、部室にあるおんぼろパソコンのフリー編集ソフトを使うことで話がまとまり、僕が立ち上げた映画制作企画は現実の話として派手に突き進んでいった。

 そこで主演にガゼルさんを起用するという話、はあ、こういうところが僕の一番ダメなところ、僕はチキンで彼女に声を掛けることすらできないでいた。世間話のひとつもしたことがないし、接点と言えば同じ図書委員会、そして数学の時間に彼女の消しゴムを一度拾って手渡したことのあるぐらいだ。

 僕はガゼルさんを主演にすることを諦めた。そして主演を「火の玉」にした。「この火の玉こそがガゼルさんのメタファーなのだ!」などと訳のわからないことを口走りながら、僕は「火の玉」を豆電球と黒ガムテープで作っていく。脚本は「突如あらわれてはクラスメイトたちを襲い殺す恐怖の火の玉、それを(自分と友達がそれぞれ演じる)勇敢な男二人が退治する!」という内容。なんで好きな人が悪者になっているんだ。それでもその火の玉の名前はガゼルさんのイニシャルだった。

 そして僕らの映画人生はクランクインし、映画は順調に撮り進められていく。彼女を想う気持ちを映画の中に爆発させていく。ちなみに当時の自分は、愛の告白なんかしなくても(言葉なんか交わさなくても)自分の作品で愛を訴え続ければ相手に好意は伝わるはずだと思っていた。絵も、文章も、この映画だって、そのために作ったものだった。

 そして映画は完成する。約11分の映画で、この映画のデータは今も手元にあってよく観返す。本当にどうしようもなくてバカバカしい映画だけど、今の自分にはもう表現することのできない綺麗なピュアさがある。性欲の匂いも下心もない。今となってはもうそんな映画を撮ることはできない。はあ、大人にだけはなりたくねえもんだ。

 映画は学園祭で上映された。彼女、ガゼルさんがその映画を観たかどうかはわからないし、ガゼルさんが今どこで何をしているのかもわからない。僕はとうとう彼女とまともな世間話を一回もすることはなかった。肉声で言葉を投げ合うことはなかった。でもメールはした。この話にはまだまだ続きがある。

 中学卒業間近、僕は彼女の進学する高校と自分の進学する高校が違うことに気が付いた。彼女は頭が良かったので、僕は彼女と同じ高校に入りたいがために必死に勉強していた。その結果、僕は彼女を追い抜かして逆転し、最終的にやっぱり全然違う高校に行くハメになったのだ。

「今告白しないと一生涯後悔するぞ、告白して後悔するのとしないので後悔するの、どっちが良いんだ?」今考えればこの友人の助言も流石に大げさというか何を言っているんだコイツはという感じなのだけれど、当時の僕は「その通りだ…」と真に受け、かといって校舎裏に呼び出す勇気も根性もないので、ラブレターをしっとりと書き綴った。そして彼女の靴箱に入れたのだ。

 何と一回目は靴箱の位置をしくじってしまったのだけれど(それなりの騒ぎになった)、二回目こそはと靴箱に再度、推敲し直した渾身のラブレターを入れる。あの時、僕の手が彼女の靴箱に侵入するその様はまるで男女の性交のよう。肉体の介在しない性交。

 そして返事の手紙で号泣する僕。「今は恋愛とか興味ないので…」という文面。思い返せば、このラブレターが初めての彼女とのまともなコミュニケーションじゃないか。それまで一度もまともに会話もしたことのない彼女に「好きです」という手紙を送った自分、何なんだろうという気持ち。そしてストレートに振られて悲しいという気持ち。

 僕はその返事の手紙に書かれたメールアドレスにメールをする。「お友達からでも良いので付き合って頂けませんか」という気持ちの悪い文面のメール。返事の帰ってこない生ゴミのような待ち時間。なんで返信をくれないのだろう。そんなことを一日始終思いながらメールを打っていた。そう、吉田恵輔監督の『さんかく』のあいつのようにそれはそれは何回も何回もメールを送った。本当に今思えば酷いことをしたなという気持ち。申し訳ないという気持ち。こんなところでこんなことを書いて何の意味があるのかはわからないけれど、本当にあの時のことは後悔しているし、申し訳ないという気持ちしかない。

 そしてガゼルさんの友達からメールが来る。「もうガゼルにメールを送らないで」という旨のメールが届く。僕はその人に「わかった」というメールを送る。そしてガゼルさんに「お幸せに」というメールを送り、アドレスを消去する。ああ、これでもう全てが終わったんだ。僕は逃げるように映画館へ向かう。映画監督になるために。

 

 話はこれで終わりなのだけれど、かなりフィクションを混ぜている。ノンフィクションであることを誤魔化すためにわざと言っているのではなく、本当にそれなりの割合でフィクションが混ざっている。こうやって、実際に経験したことを元にお話を作っていくことは本当に楽しい。ゼロから神話のような物語を作ることには今のところまるで興味がないのだけれど、実体験を元にしたこんな感じのみみっちい寓話なら永遠に書いていられる。

 流石に今回のこの記事は少し気持ち悪さの限界を超えている(そもそも長すぎる)のでTwitterに投稿はしないでおこうという気持ち。というか誰も読まないで欲しいという気持ち。他人がこんなものを読んでどういう感情になるのか、僕には想像すらつかない。だから非常に非常に怖い。じゃあなんで身を削ってこんなことをブログに書いているのかと問われれば、書かずにはいられないからだ。理由なんてないさ。僕がこの世で生きている理由だってないし、今僕が明治エッセルスーパーカップを食べていることにだって理由なんかない。いちいち「なんで?なんで?」ってうるさいんだよ!タッパーにキュウリでも詰めてろ!

 最後まで吐かずに読んでくれた人、結婚しよう!男でも良いよ!