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カメラの内側と外側

 記事タイトルの時点で気色の悪いほどにポエティックな文章になる気しかしないのだけれど、あえて今回はそれは避ける。読むほうも厳しいだろうし、こっちだっていつまでもそんなナヨナヨにウジウジした文章を書き続けるつもりはないのだ。もっとウィットに富んでいて軽快なリズムに満ちたエンターテインメント性のある文章が書きたいんだ。僕だってなれるものならバカなリア充になりたいんだ。陰湿なオタクなんかうんざりなんだ。

 最近、というか昨日、かなり真剣な気持ちで「俳優になりたい」と思った。というのは面白くない冗談で、実際のところは映画監督になりたくて仕方がない。そしてその延長として、映画を撮影するにあたって「カメラの内側にいるだけじゃなく、外側に立っても良いのではないか」と思い始めたのである。つまり「撮る側」ばかりではなく「撮られる側」になっても良いのではないかと、そういうことをバカがバカなりに思い始めたのだ。

 今まで僕は(映画として)他人にカメラを向けられたことはなかった。他人に撮られることがまずあまり好きではないし、俳優になりたいだなんて生まれてこの方一瞬たりとも思ったことがなかったし、撮られる理由も意味もチャンスもなかったからだ。他人を撮ってばかりいた。

 そんな僕が、なぜ今回「撮られる側」に回っても良いと思ったのか。随分と回りくどい言い回しというか文章の筋運びに自分でもうんざりするのだけれど、こういう書き方しかできないんだ。許してくれ。で、なぜ撮られても良いと思ったのか。それは最近ジョナ・ヒルという俳優に注目し始めたことに関係する。

 ここでジョナ・ヒルの写真でも上げてウィキのリンクでも貼れば良いんだろうが、面倒くさいので調べたい人は各自に調べてほしい。どうでも良い人は別にそれで良い。人生の八割はどうでも良い。

 

 晩御飯を食べ終え、親に何かしらの説教を食らい、たった今ブログを書くためにここに戻ってきたのだけれど、ついさっき自分が書いた上記の文章を読み返しても当時の自分が最終的に何の話をしようとしていたのかわからない。勢いで書いていたし、もうなんかブログを書く気分でもなくなった。どうしよう。面倒くさい。彼女もいない。いっそのことこの記事ごと消してしまおうか。それも勿体ない。残しておきたい。

 ブログの〈今週のお題〉という欄に「思い出の先生」というのがある。なのでここはひとつ、高校に出逢った思い出の先生の話をしよう。

 名前は仮名、白石先生だ。当時五十二歳、女性の古典の先生である。

 白石先生はとても優しかった。それはもう信じられないぐらいに優しかった。そしてユーモアと気品と人としての美しい余裕に満ちていた。授業での教え方はとても丁寧、それでいて運動会などではクラスメイトと一緒に綱を引いて優勝すると涙を流して喜ぶぐらいにピュア。落ち込んでいる生徒がいると励ましてそっとメモを添え、不安まみれの受験生にはキットカットを渡してハグをする。いつしか僕はそんな先生のことが大好きになっていた。

 そして恋愛感情を抱くようになった。別に年齢なんか関係なかった。僕は年上の女性が特段に好きというわけでもないし、その逆もない。普通の男子高校生と一緒、週刊誌で笑顔を振りまくグラビアアイドルに胸をときめかせていたし、AKBの推しメンだっていたし、同級生の好きな子だっていた。なのに僕は、五十二歳の先生に恋をしてしまったのだ。

 先生を想いながらたくさんの気色の悪い詩を書いたし、先生の似顔絵だって何枚も書いた。先生を題材にした映画の脚本だって書いたし、渡すに渡せない先生へのラブレターだって書いた。そして純愛ばかりが膨らんでいき、みるみると自分の性欲が減退していくのがわかった。街行く女の人なんか石ころ同然、先生の笑顔だけ見ていれば当時の僕は満足だった。

 そして僕は先生に告白したのだ。と、ここまで書き終えたところでもう自分の文章の気持ちの悪さに吐きそうになっている。というかもう吐いた。部屋一面ゲロまみれだ。僕は自分のゲロの匂いに耐えきれず、家から飛び出した。

 僕は無我夢中に走った。もうこんな現実は嫌だ。映画の才能は認められないし、行くはずだった東京にだって親に止められていけなくなってしまった。淡い恋心も砕け散ったし、今このブログを書いている部屋だってなんか生臭い。僕は記憶を全て振り払うように走る。必死に走る。犬の糞を踏んだ。関係ない。ホームレスのおっさんに声を掛けられた。関係ない。中学の頃に大好きだったあの子に「久しぶり!」と声を掛けられた。関係ない。全部関係ない。もう僕はこの世と何の関係もない。

 そして僕は不思議の国のアリスのように森を彷徨っている。大きな穴に落っこちてワンダーランドにでも行ってしまえば儲けものだなと思っていたのだけれど、現実はそんなに甘ったるくない。僕は一本の木の小脇にビデオカメラが落ちているのを発見する。ビデオカメラだ。

 そうだ、このビデオカメラで映画を撮ろう。脚本はあの子(高校三年生の時に好きだったあの子)を僕から奪った、おしゃれにギターを弾きこなす「あいつ」をぶっ殺す話だ。現実での殺人はダメだけど、映画の中でなら誰を殺したって構わない。よし、映画の中であいつをぶっ殺し、汚え墓石の下に埋めてやる。

 そういう気持ちで先日、映画を一本撮った。映画は完成し、今度映画祭に出すつもりだ。この映画が評価されるのか、無視されてドブに捨てられるのかはわからない。でも僕には映画を撮る力があるんだ。十分以上の映画を撮る力量も技術もイマジネーションもあるんだ。そう思うと自分が大好きになってくる。自分が好き。映画なんか撮れちゃう自分が大好き。

 そもそもこんな長文をブログに書き散らかして誰かさんに読んでもらおうとしている行為自体、自分好きじゃないとそうそうできない芸当じゃないか。そうさ俺は自分が好きさ。自信過剰だのマスターベーションだの言われたところで構わない!俺は自分が大好きだ!