ネタがずり落ちている寿司

 先日、大学でイヤホンを置き引きされたので、ほんの若干高めのイヤホンを新しく買った。3000円もしないのでイヤホン界の重鎮などからしたら10円も同然のような代物なのだろうけれど、今まで1000円前後のイヤホンで人生を過ごしてきた自分にとっては驚きが止まらない!ロマンティックが止まらない!急な気温変化による鼻水が止まらない!

 1000円前後のイヤホンというのは、音量を上げると高音の主張が強くなって死ぬほど耳が痛くなる。かと言って小さな音量でちまちま聞くのも趣がないので、それなりの高音が主張しすぎないレベル限界のMAX音量で音楽を聞く。

 すると低音の主張もなかなか強いことに気付く。そしてこの低音は、他の音たちを殴り殺していく(聞こえなくする)。低音というガキ大将によって十分に活躍ができない子分たちの努力の結晶を、我々は1000円のイヤホンで聞くことができないのだ。

 そこでこれの3倍の値段のする3000円イヤホンで同じ音楽を聞くとあら不思議!!授業中の質問では全て手を挙げなければ気が済まないほど目立ちたがり屋の高音も、他人を殴り殺すことでしか自己を主張できない大将の低音も、その子分も、全員が仲良く調和している!喧嘩せず、全員がひとつの方向に向かっている!なんという感動!音楽は最高!

 この世界平和みたいな穏やかな感覚、これぞ人類の目指すべき境地なのではないだろうか!しかし、そうはいかないのが現実で、理想論ばかり振りかざしても何も解決されない問題ばかりの現実。

 だからって諦めるのはまた違う!また別の方法を考えるなり何なりおいなり、人生には無限の道の選択肢があるのだ。だからこそ人生は複雑で、複雑であるが故に美しいのだ。美しさは最高!早く心の美しい人間になりたい。一般常識とされているようなふざけた「美しさ」ではなく、もっと人間的で本質的な美しさを手に入れたい。そのために自分は今何をすべきなんだろうなあ、と考えてみたりするけど、結局この世界のことなんか何もわからないし、わかろうとする努力のひとつとして自分は映画を撮ってるんだなあ、と思った。

 

11月5日に京都の某高校の文化祭で、僕の監督した映画が午前と午後の計二回上映されるのですが、行きたいよ~って方がもしいらっしゃったらコメントなりTwitterのDMなりプレモルなり僕に送ってください!

何も書かずに印税がほしい

 今年の夏は本当にたくさんのことがあったし、もしかすると今までで1番濃い夏だったかもしれない。そんな夏もある日を境にスッと終わり、秋がやってきた。

 秋がやってきたらやってきたでこれまた大変で、なんやかんやで家が揉めに揉め、半分家出めいたこともするなどし、一時は穏便に先送り解決はしたものの、決して目の前の問題から逃れることはできない。自分の人生を、自分で切り開いていかなければならない。

 僕は何がどうであろうと映画の道に進みたいし、それ以外の人生などは基本的には考えられない。ずっとずっと映画を観て育ってきたし、今自分という人間を説明するのに映画なしでは到底不可能だし、何より映画そのものに恩返しをしたい気持ちがある。

 そんな半分綺麗ごとめいた理由とはまた別に、僕は本当に表現せずにはいられない人間だし、人間のできる行為において表現以上に美しい行為なんかこの世には存在しないと思っている。人生は表現に始まり、表現に終わる。この文章だって表現だし、呼吸も、血の流れも、リビングで流れている2時間ドラマだってもちろん表現だ。人間も神の表現物かもしれない。

 だから僕はこの先一生表現することをやめたくなんかないし、必ず映画を撮り続けていきたい。映画を飽きたにしても、小説も書きたいし、バラエティ番組や音楽ライブだって演出したいし、現代アートもやりたいし、人間のできる表現全てしてみたいという気持ちにあふれている。そして突然、スッと死にたい。そしてまた違う世界で、全く違う人生、たとえば表現なんか一切しない人生、なんかを送ってみたい。

カラオケのマイクたまにベタベタしてて嫌

 友達とめちゃくちゃ飲酒したり、汗だくになりながら一緒に映画撮ったり、夜中に公園でしんみり語ったり、好きな女の子とめちゃくちゃ遊んだり、この夏にありとあらゆる「青春」的な何かをこなしすぎたせいだろうか、今、あまりに、あまりに巨大な虚無感が押し寄せている。人生、これからもう映画監督になるしかないし、映画監督になったところで俺は人として良くできた人間なのか?社会に貢献できているのか?ってか死にたいな?

 とにかく新しいことをしたい。自分の価値観を停滞させることなくどんどん壊していきたい。一瞬、一瞬で生まれ変わって別人になりたい。過去の自分と決別して、未来の自分とだけ仲良くなりたい。赤信号だろうと何だろうと止まりたくない!常に動き続けたい!止まったら終わりだ!

数多くあるブログ記事のうちのひとつ

 今、ふと自分の人生をゆっくりと思い返せば、僕の人生は、映画を作る度に、その映画によってぐにゃりとねじ曲げられてきた。その映画を通じて新しく出会う人、その映画が精神的に自分に与えた影響などなど、「この映画を作らなければこんなことにはならなかったのにな~」と(良くも悪くも)毎回感じる。

 映画を作る度に何かしらの人生のハプニングが起こり、予想もつかない方向に人生が転がっていく。そう思うと、やっぱり人生は映画だし、映画もまた人生なのだ。もう最近、そのことに疑いの余地はなくなってきた。余地どころか生地も土地もなくなってきた。

 10日、某高校の校舎で青春映画を撮る。適当な恋愛を無難にこなす青春映画ではなく、失われた青春をもう一度取り戻そうとする男の物語だ。アリス時間の旅や、21&22ジャンプストリートで描かれる「過去のトラウマとの決別」というテーマに最近すごく興味があって、是非今回、自分で少し掘り下げてみたいと思った。

 今回はロケ地が高校の校舎であることに加え、主演二人も高校生、そして自分とは別のカメラマンがいるという現場。常に自分の映画では自分がカメラを回していたので、めちゃめちゃ新しい試みに緊張する。緊張するとは言っても自分が言いだしたことなんだけど。

 カメラも楽しいし、脚本も楽しいけれど、本当に「演出」にだけ集中したいという思いがある。ただ自分の目の前にある「物語」を、どう語っていくか、どう見せていくかということにだけ興味がある。その空気感、演技のニュアンス、なんか今もうめちゃめちゃ書くのしんどくなったからやめる。

 人っていうのは、濃密に関わり合えば関わり合うほどめんどくささを感じてしまうものですね!

鍋の蓋

 心が激しく乱れている。どれぐらい乱れているかと言うと、ほんの3時間ぐらい前にポケモンGOが配信されて、それに夢中な歩きスマホ大学生であふれ返った今の大学ぐらい乱れている。

 とてもとてもめんどくさいことばかりが続いていて、新しい映画を映画館に観に行く気力さえも湧かないし、ずっと大好きな映画ばかり繰り返し大学や家で観ている。映画に救われ、映画に殺され続けてきた人生。なんで俺は映画なんか好きになってしまったんだろうと、今でもふと電車に揺られながら思う。

 もっと普通の大学生になりたかった。普通の、普通の、普通の、サークルに入って、わちゃわちゃと合宿なんかに行ったりして、わちゃわちゃと安いお酒を飲んだりしながら、わちゃわちゃの恋をしたり、はちゃめちゃの青春をしたり、そういう普通のクソ大学生になりたかった。

 すると必ず「そういう大学生にだって彼らなりの苦労とかあるんだ!」などと言ってくる人がいるが、そんなことはわかっている。わかっていてても、言いたくなるときがあるのだ。人間とはそういうものなのだ。完全に理屈だけで行動したり、思考できたりするのなら苦労なんかしない。できないんだよ!

 明日は映画を撮る。自分で自分を超える、新しい映画にしたい。俺が映画を作ることをやめたら、俺に人間としての価値は何も残らない。価値のある人間になりたい。誰かに必要とされたい。その誰かと言うのは自分でも良いのだけれど、今のところ自分は自分を必要としていない。豊かな暮らし。

オールタイムベスト

 映画が大好きになったのは2009年暮れ(観たのは確か2010年の頭だったと思う)のアバターからで、当時の僕はそれはそれは身体と心を猛烈に熱くし、それからずっとずっと映画館でたくさんの映画を観てきた。友達と観たり、家族と観たり、その当時の好きな人と観たり、まあ基本は一人で観たり…

 そんなうちに時間はどんどん過ぎていき、僕が人生において映画に費やした時間はとんでもないものになっており、ここまで人生を賭けて熱中したものに恩返し、というか仕返しせずにどうするんだ、というニュアンスで徐々に確信的に映画監督を目指すようになっていった。もう後戻りのできない人生。嬉しいような、悲しいような…

 そこでこの7年間ぐらいに出会ったたくさんの映画の中から、特にこの映画だけはもう一生一緒だよ、大好きだよ、愛してるよ、という映画をそれなりに吟味して50本選出するなどした。これは自己分析でもあるし、過去の総決算でもあるし、俺の好きな映画みんなも観てねの意味でもある。何にせよ、前からずっとオールタイムベストは出してみたいと思っていた。順不同で、同じタイトルの他の作品がある場合のみ年代を書き添えた。

 

ヒックとドラゴン

バトルロワイアル

塔の上のラプンツェル

タンタンの冒険 ユニコーン号の秘密

タイタニック

マダガスカル3

フライト

ザ・ウォーク

オズ はじまりの戦い

死霊のはらわた2

スペル

華麗なるギャツビー

地獄でなぜ悪い

博士と彼女のセオリー

チャッピー

リトルショップ・オブ・ホラーズ(1986)

トゥモローランド

Mr.インクレディブル

レミーのおいしいレストラン

冷たい熱帯魚

うつしみ

恋の罪

愛のむきだし

ヒミズ

ラブ&ピース

バクマン。

ばしゃ馬さんとビッグマウス

銀の匙 Silver Spoon

ヒメアノ~ル

さんかく

純喫茶磯辺

告白(2010)

嫌われ松子の一生

渇き。

シザーハンズ

アリス・イン・ワンダーランド

チャーリーとチョコレート工場

スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師

ヤッターマン(2009)

愛と誠(2012)

くもりときどきミートボール

21ジャンプストリート

22ジャンプストリート

スピード・レーサー

バッドボーイズ2バッド

ペイン&ゲイン 史上最低の一攫千金

サウスパーク/無修正映画版

チーム★アメリカ/ワールドポリス

私の優しくない先輩

 

 これで49本。あと1本1番大好きな映画がある。その映画はそれはそれは面白くて、あまりに苦しくて逃げ出したくて、それでも興奮と感動の喜びに満ちている。

 俺の「人生」だ。人生ほど面白い映画はこの世に存在しない。この世に存在する映画の全ては、人間の「人生」の魅力のほんの一面を描いてみせただけに過ぎない。物事の本質を知るきっかけはあるかもしれないけれど、本質自体は映画にはない。本質は、自分の人生の中にあるのだ。これからもたくさん映画を観て、たくさん映画を撮って、めちゃくちゃに人生を楽しみたい!早く楽になりたい!

ジョディ・フォスター

 ヒメアノ~ルという映画はとにもかくにも圧倒的にすごい映画だ。出てくる暴力描写、殺人描写の数々がすべて「こちらの身に降りかかってくる」のだ。暴力とは本来、他人事ではないし、娯楽でもエンターテインメントではない。このヒメアノ~ルという映画には、そんな暴力の「本当の姿」が映しだされている。人はなぜ暴力を行使し、時に暴力に魅力すら感じてしまうのか。そして暴力によって生まれる負の遺産、暴力を振るった側の行き着く境地、それらがすっきり完璧に99分の中で描かれている。

 人殺しをサイコパスだの人外だの罵って、自分は絶対にそんなことはしない!と声高に宣言することは簡単だろう。しかし、一度も暴力を振るったことのない人間などこの世の中に存在しない。暴力に「他人事」はない。どんな人でも、どんなに苦しくても、避けては通れない、向き合わなければならないテーマなのである。

 そのテーマを、ヒメアノ~ルは徹底して描き、信じられないほどに優しい結末へと着地させる。その優しさは、暴力を振るってきた人間の「反省」でもあり、暴力を他人事として避ける人たちへの「挑発」でもある。グロ描写が苦手だとか、重いテーマが苦手だとか、この映画を避けたくなる気持ちはわかる。だって暴力ってそういうものだから。でも、ひとりでも多くの人にこの映画を観てほしい。そこには強姦の不快感と殺しの禍々しさが確かに「現実」のものとして存在し、その果てに「人間が人間たらしめるための希望の光」がきっと見えるから。