カラオケのマイクたまにベタベタしてて嫌
友達とめちゃくちゃ飲酒したり、汗だくになりながら一緒に映画撮ったり、夜中に公園でしんみり語ったり、好きな女の子とめちゃくちゃ遊んだり、この夏にありとあらゆる「青春」的な何かをこなしすぎたせいだろうか、今、あまりに、あまりに巨大な虚無感が押し寄せている。人生、これからもう映画監督になるしかないし、映画監督になったところで俺は人として良くできた人間なのか?社会に貢献できているのか?ってか死にたいな?
とにかく新しいことをしたい。自分の価値観を停滞させることなくどんどん壊していきたい。一瞬、一瞬で生まれ変わって別人になりたい。過去の自分と決別して、未来の自分とだけ仲良くなりたい。赤信号だろうと何だろうと止まりたくない!常に動き続けたい!止まったら終わりだ!
数多くあるブログ記事のうちのひとつ
今、ふと自分の人生をゆっくりと思い返せば、僕の人生は、映画を作る度に、その映画によってぐにゃりとねじ曲げられてきた。その映画を通じて新しく出会う人、その映画が精神的に自分に与えた影響などなど、「この映画を作らなければこんなことにはならなかったのにな~」と(良くも悪くも)毎回感じる。
映画を作る度に何かしらの人生のハプニングが起こり、予想もつかない方向に人生が転がっていく。そう思うと、やっぱり人生は映画だし、映画もまた人生なのだ。もう最近、そのことに疑いの余地はなくなってきた。余地どころか生地も土地もなくなってきた。
10日、某高校の校舎で青春映画を撮る。適当な恋愛を無難にこなす青春映画ではなく、失われた青春をもう一度取り戻そうとする男の物語だ。アリス時間の旅や、21&22ジャンプストリートで描かれる「過去のトラウマとの決別」というテーマに最近すごく興味があって、是非今回、自分で少し掘り下げてみたいと思った。
今回はロケ地が高校の校舎であることに加え、主演二人も高校生、そして自分とは別のカメラマンがいるという現場。常に自分の映画では自分がカメラを回していたので、めちゃめちゃ新しい試みに緊張する。緊張するとは言っても自分が言いだしたことなんだけど。
カメラも楽しいし、脚本も楽しいけれど、本当に「演出」にだけ集中したいという思いがある。ただ自分の目の前にある「物語」を、どう語っていくか、どう見せていくかということにだけ興味がある。その空気感、演技のニュアンス、なんか今もうめちゃめちゃ書くのしんどくなったからやめる。
人っていうのは、濃密に関わり合えば関わり合うほどめんどくささを感じてしまうものですね!
鍋の蓋
心が激しく乱れている。どれぐらい乱れているかと言うと、ほんの3時間ぐらい前にポケモンGOが配信されて、それに夢中な歩きスマホ大学生であふれ返った今の大学ぐらい乱れている。
とてもとてもめんどくさいことばかりが続いていて、新しい映画を映画館に観に行く気力さえも湧かないし、ずっと大好きな映画ばかり繰り返し大学や家で観ている。映画に救われ、映画に殺され続けてきた人生。なんで俺は映画なんか好きになってしまったんだろうと、今でもふと電車に揺られながら思う。
もっと普通の大学生になりたかった。普通の、普通の、普通の、サークルに入って、わちゃわちゃと合宿なんかに行ったりして、わちゃわちゃと安いお酒を飲んだりしながら、わちゃわちゃの恋をしたり、はちゃめちゃの青春をしたり、そういう普通のクソ大学生になりたかった。
すると必ず「そういう大学生にだって彼らなりの苦労とかあるんだ!」などと言ってくる人がいるが、そんなことはわかっている。わかっていてても、言いたくなるときがあるのだ。人間とはそういうものなのだ。完全に理屈だけで行動したり、思考できたりするのなら苦労なんかしない。できないんだよ!
明日は映画を撮る。自分で自分を超える、新しい映画にしたい。俺が映画を作ることをやめたら、俺に人間としての価値は何も残らない。価値のある人間になりたい。誰かに必要とされたい。その誰かと言うのは自分でも良いのだけれど、今のところ自分は自分を必要としていない。豊かな暮らし。
オールタイムベスト
映画が大好きになったのは2009年暮れ(観たのは確か2010年の頭だったと思う)のアバターからで、当時の僕はそれはそれは身体と心を猛烈に熱くし、それからずっとずっと映画館でたくさんの映画を観てきた。友達と観たり、家族と観たり、その当時の好きな人と観たり、まあ基本は一人で観たり…
そんなうちに時間はどんどん過ぎていき、僕が人生において映画に費やした時間はとんでもないものになっており、ここまで人生を賭けて熱中したものに恩返し、というか仕返しせずにどうするんだ、というニュアンスで徐々に確信的に映画監督を目指すようになっていった。もう後戻りのできない人生。嬉しいような、悲しいような…
そこでこの7年間ぐらいに出会ったたくさんの映画の中から、特にこの映画だけはもう一生一緒だよ、大好きだよ、愛してるよ、という映画をそれなりに吟味して50本選出するなどした。これは自己分析でもあるし、過去の総決算でもあるし、俺の好きな映画みんなも観てねの意味でもある。何にせよ、前からずっとオールタイムベストは出してみたいと思っていた。順不同で、同じタイトルの他の作品がある場合のみ年代を書き添えた。
タンタンの冒険 ユニコーン号の秘密
フライト
スペル
チャッピー
リトルショップ・オブ・ホラーズ(1986)
レミーのおいしいレストラン
うつしみ
ラブ&ピース
ばしゃ馬さんとビッグマウス
ヒメアノ~ル
さんかく
告白(2010)
渇き。
ヤッターマン(2009)
愛と誠(2012)
21ジャンプストリート
22ジャンプストリート
ペイン&ゲイン 史上最低の一攫千金
サウスパーク/無修正映画版
チーム★アメリカ/ワールドポリス
これで49本。あと1本1番大好きな映画がある。その映画はそれはそれは面白くて、あまりに苦しくて逃げ出したくて、それでも興奮と感動の喜びに満ちている。
俺の「人生」だ。人生ほど面白い映画はこの世に存在しない。この世に存在する映画の全ては、人間の「人生」の魅力のほんの一面を描いてみせただけに過ぎない。物事の本質を知るきっかけはあるかもしれないけれど、本質自体は映画にはない。本質は、自分の人生の中にあるのだ。これからもたくさん映画を観て、たくさん映画を撮って、めちゃくちゃに人生を楽しみたい!早く楽になりたい!
ジョディ・フォスター
ヒメアノ~ルという映画はとにもかくにも圧倒的にすごい映画だ。出てくる暴力描写、殺人描写の数々がすべて「こちらの身に降りかかってくる」のだ。暴力とは本来、他人事ではないし、娯楽でもエンターテインメントではない。このヒメアノ~ルという映画には、そんな暴力の「本当の姿」が映しだされている。人はなぜ暴力を行使し、時に暴力に魅力すら感じてしまうのか。そして暴力によって生まれる負の遺産、暴力を振るった側の行き着く境地、それらがすっきり完璧に99分の中で描かれている。
人殺しをサイコパスだの人外だの罵って、自分は絶対にそんなことはしない!と声高に宣言することは簡単だろう。しかし、一度も暴力を振るったことのない人間などこの世の中に存在しない。暴力に「他人事」はない。どんな人でも、どんなに苦しくても、避けては通れない、向き合わなければならないテーマなのである。
そのテーマを、ヒメアノ~ルは徹底して描き、信じられないほどに優しい結末へと着地させる。その優しさは、暴力を振るってきた人間の「反省」でもあり、暴力を他人事として避ける人たちへの「挑発」でもある。グロ描写が苦手だとか、重いテーマが苦手だとか、この映画を避けたくなる気持ちはわかる。だって暴力ってそういうものだから。でも、ひとりでも多くの人にこの映画を観てほしい。そこには強姦の不快感と殺しの禍々しさが確かに「現実」のものとして存在し、その果てに「人間が人間たらしめるための希望の光」がきっと見えるから。
毛玉取り器
この世界の価値基準がすべてだと思い込んでいる人が嫌いでたまらない。なんでこの世界だけがすべてだと思うのだろう。自分の目に映り込んでいる世界だけが真実の世界だと思うのだろう。生前の記憶がなければ死後の世界のことも知らない、そんな状態でよくこの世界至上主義的な態度がとれるね!僕にはよくわからないよ!
煙草をたくさん吸って、お酒をたくさん飲んで、仮に早くこの世界を去ることになったとしても、来世はその分長生きできるシステムだとしたら?どれだけひとつの人生で長生きしようが、結局トータルの人生時間はみんな同じだとしたら?
こんな仮定も考える。もしこの世界で「悪い」とされていることが、死後の世界では全て賞賛されていたとしたら?この世でした「悪い」ことの数だけ死後褒められて報われるかもしれないとしたら?そんなことはありえないだなんて誰にも断言できない。この世界のどんなに偉い人でも、死後の世界のことは何にも知らないのだから!
世の常識なんか所詮は最大幸福数を考えて人為的に作り出された多数決ルールなのだから、さほど重要だとは思えない。実際のところ、人を殺してはいけない理由をちゃんと明確に述べられる人なんかほとんどいないし、みんな自分の言葉で説明もできないモヤモヤとしたルールの下で惰性で生きてる。この世はどこまでも曖昧で、だからこそ死後の世界にはもっと明確な真実があるかもしれないとたまに思うのだ。
それでもこの世界は何だかんだで結構楽しいし、自殺しようだなんて全く思わない。悲しむ人がいるからとか、与えられた人生は全うしなければならないからなんてそんなくだらない理由じゃなくて、ただ単純に「楽しいなあ」と思う瞬間があるからだ。楽しい人生。飛び降り自殺をした女子中学生のふたりは何を思って自殺したのだろうか
天使の君と天井のシミ
去年の年末に撮ったものの、何だかんだ精神的にあれすぎて編集することをやめてしまった素材をたぶん今日から編集して1本の映画にする。
そしてラップ好きの友達のコネからラップ好きの人々をたくさん集めて半分ドキュメンタリーで半分ミュージカルみたいな映画を近いうちに撮る。
そして夏には僕たち人間がこの世に生まれてきた意味を自ら問う同性愛をテーマにした映画を撮る。
まだまだ撮りたい映画がたくさんあって、今すぐにでも語らねばならないテーマがたくさんある。いつ死んだって構わないけれど、死ぬまでは精一杯に生きたい。だからこの世界と仲良くして、自分と世界との友情の証(映画)を作り続ける。生きている実感を得るために!
どんなときも どんなときも
僕がチョコラスク買うために
好きなものを寿司と
和えるお餅 炊き締めてたい